歴史・沿革

年号

歴史・沿革

                
1598年(慶長3年) 長野県飯田市で創業

1947年(昭和22年)

(昭和22年)

4月

飯田の大火
飯田の大火

昭和22年4月20日 十三代目野原弘一の当時、綿半、野原合名があった飯田市で市街地をほとんど焼き尽くす大火事が起きた。 土蔵の一角だけが残った綿半は、この大火を契機に、弘一(62才)は甥の達也(32歳/初代社長)と長男の弘吉(28才/2代目社長)に世代交代を宣言。 若い達也と弘吉にとっては青天の霹靂にも似た通告だったが、『綿半は今日限り二人に任せる。力を合わせてやれ。』『のれんを忘れるな』という弘一の言葉で、焼け跡からの再建作業はスタートした。

飯田の大火

ひと夏のアイスキャンデー
ひと夏のアイスキャンデー

大火後の焼け野原の飯田ですぐに営業できる商売はなにか?アイスキャンデーだ! 40坪の土地を買って二階建てのバラックを建てた。最新鋭の大型冷凍機を購入し、「アラスカ」という喫茶の営業を始めた。 人気がでると、自転車にキャンデー木箱を乗せて、公園や野球場などくまなく市内に売って歩いた。 若い二人の経営者と店員達の意欲で、アラスカは売れに売れた。ひと夏で冷凍機の原価を償却をし、営業利益までも出したのである。 これを足がかりに、達也と弘吉は飯田を離れ、いよいよ東京へと新社設立に動き出すのであった。

ひと夏のアイスキャンデー

9月

東京都中央区小田原町において資本金19万5,000円で設立

社員即株主制
社員即株主制

夏が終わるとアイスキャンデー店を店じまいし、冷凍機を売却して資本金を作った。 昭和22年9月11日 野原産業株式会社が東京に誕生した。 親戚縁者は役員に加えず、達也・弘吉以外は飯田時代の店員を役員起用。 個人経営から脱皮し、増資につぐ増資をくり返し、わずか1年間で資本金を10倍に増やした。 同時に、社員全員の給与の中から毎月20%を積み立てて株取得にあて、『社員即株主制』を実施した。 人材を生かし常に社員と共に『自分たちの』会社を守り育てていくというノハラの経営哲学は、綿半野原グループという大きな企業集団を、たった一代で育て上げる基盤になり、今もその根幹は変わっていない。

社員即株主制

ガリ版刷の指導書
ガリ版刷の指導書

『ノハラで3年勤まったら、どこへいっても通用する』ノハラの仕事やしつけの厳しさは伝統的なものだったらしい。 会社が力を入れた若手の指導書は、ガリ版刷りであった。 『セールスマンシップ』『店外販売の心得28条』『売掛金回収の合理的方法とそのコツ』『女子従業員勤務心得』等仕事に厳しく、人にやさしい、ノハラの全人格的な人育ては世間の評価に現れている。

ガリ版刷の指導書

1949年(昭和24年)

(昭和24年)

2月

資本金を10万5,750円に減資の上、飯田営業所を分離独立、(株)綿半銅鉄金物店を設立

1951年(昭和26年)

(昭和26年)

2月

本社を東京都中央区新富町へ移転

デュロテスト蛍光灯
デュロテスト蛍光灯

昭和26~28年 『世界一明るく、寿命が長い』米国デュロテスト社製蛍光灯を集中販売。 当時、国内製品にはばらつきが多い時代だったこともあり、トップクラスの品質をPRして、無名の新興会社は大手国内メーカーをおびやかすほどの販売実績をあげていった。 しかし、国内販売権の獲得だけにとどまらず日本での生産販売に踏み切った頃から、経済復興期の輸入統制枠のきびしい経済環境と、大企業の中小業者つぶしを経験することになる。 ノハラの唯一最大の岐路に、本業の建材に専念することになった。

デュロテスト蛍光灯

1953年(昭和28年)

(昭和28年)

9月

ボルト類などの主力製品に、野沢石綿セメント社(現、(株)ノザワ)との代理店契約を結び、建設材料販売への足がかりをつかむ

ボランティア―龍峡育英会
ボランティア―龍峡育英会

創業の地、地元飯田市からの社会的な役職に関する要請は多くあったが、代々の『一切の役職につかず本業に徹するように』の教訓を固辞していた。 しかし、地元を対象にした福祉には積極的で、『ボランティア』という考え方が定着してない昭和28年当時、会社は未だ発展途上の資金繰りに奔走しているさなか、『龍峡育英会』を発足させた。

ボランティア―龍峡育英会

1955年(昭和30年)

(昭和30年)

無煙カマド
無煙カマド

昭和30年代には、鉄やセメントに加え、ビニールパイプや波板等の合成樹脂の新建材が登場した。 そんなとき、松本店に無煙カマドの提携販売の話が持ち込まれた。従来品に比べて熱効率がよく煙も少ない特許商品だ。 野原産業は、そのユニークな商品を目玉にして、地方各地で資金力と信用のある金物店を探し、積極的に実演販売した。 それは、地道ながら持続的にひろがって、地方の一流商店との取引の足がかりを作っていった。 つまり、新建材等の需要商材を、をその新ルートにのせて販売することで、驚異的な売上を伸ばすきっかけになったのである。

無煙カマド

1956年(昭和31年)

(昭和31年)

4月

名古屋支店を開設

1958年(昭和33年)

(昭和33年)

2月

本社を東京都新宿区四谷へ移転

4月

富士反射研究所の発明製作による 「フジライト」の取り扱いを開始

フジライト
フジライト

昭和30年代前半、マイカー時代が徐々に訪れようとしていた時期で、道路交通整備事業も本格化してきた。 フジライトは光を鏡のように反射させる機能を持った反射シートで、米国3M社製スコッチライトに迫る国産品として話題になった。 昭和33年 『夜も昼も光るフジライト』というキャッチフレーズで、本格的に野原産業で取り扱いをはじめた。 従来の建材以外の道路標識という新分野に、野原産業が踏み出す最初の商品でもあった。

フジライト

1959年(昭和34年)

(昭和34年)

10月

コンクリート製品製造部門を分離独立、 野原コンクリート工業(株)を設立

1960年(昭和35年)

(昭和35年)

12月

交通標識加工製造部門を分離独立、 富士化学工業(株)を設立 吉野石膏(株)、アサノコンクリート(株)、田島応用化工(株)などの特約店契約が成立し、建材総合商社としての体制づくりが進行

1964年(昭和39年)

(昭和39年)

2月

大阪支店を開設

1965年(昭和40年)

(昭和40年)

3月

系列の富士化学工業(株)を吸収合併

1966年(昭和41年)

(昭和41年)

4月

系列の野原コンクリート工業(株)を吸収合併

1968年(昭和43年)

(昭和43年)

9月

千葉営業所(現、千葉都市環境営業所)を開設

9月

大宮営業所(現、北関東支店)を開設

9月

系列の(株)野崎製作所を吸収合併し、草加工場・横浜営業所を承継

1969年(昭和44年)

(昭和44年)

6月

資本金を1億円に増資

1974年(昭和49年)

(昭和49年)

10月

資本金を2億円に増資

1976年(昭和51年)

(昭和51年)

4月

横浜営業所を支店に昇格

1978年(昭和53年)

(昭和53年)

4月

多摩営業所(現、西関東支店)を開設

7月

資本金を3億3,000万円に増資

1979年(昭和54年)

(昭和54年)

1月

仙台営業所を開設

1980年(昭和55年)

(昭和55年)

2月

仙台営業所社屋および併設仙台工場完成、東北支店と改称

1981年(昭和56年)

(昭和56年)

2月

野原セメント販売(株)を設立

5月

福岡営業所を開設

8月

座間市に相模原鉄筋加工センター、相模原営業所(現、ノハラスチール(株)神奈川工場)を開設

1982年(昭和57年)

(昭和57年)

2月

資本金を4億3,000万に増資

1983年(昭和58年)

(昭和58年)

7月

広島営業所を開設

1986年(昭和61年)

(昭和61年)

3月

静岡営業所を開設

8月

岡山営業所を開設

1988年(昭和63年)

(昭和63年)

5月

神戸建材営業所(現、神戸営業所)を開設

1989年(平成元年)

(平成元年)

3月

山梨県大泉村・八ヶ岳スポーツセンター(現、八ヶ岳研修所)を開設

6月

北陸営業所を開設

10月

広島野原ビル完成、広島営業所を新社屋に移転

1990年(平成2年)

(平成2年)

5月

札幌営業所、高松営業所を開設

1991年(平成3年)

(平成3年)

6月

南九州営業所を開設

1992年(平成4年)

(平成4年)

5月

長野営業所を開設

6月

郡山営業所、千葉営業所を開設

9月

那須工場完成

1995年(平成7年)

(平成7年)

8月

(株)コバシを傘下にし、(株)ノハラエクジンに商号を変更

1997年(平成9年)

(平成9年)

2月

資本金を6億1,210万円に増資

1998年(平成10年)

(平成10年)

4月

西関東支店・北関東支店を登記

2000年(平成12年)

(平成12年)

7月

新潟営業所を開設

8月

フィット リアルエステート(株)を設立

10月

湘南営業所を厚木市へ移転し、神奈川県央営業所と改称

12月

(株)プラストを傘下にし、(株)ノハラプラストに商号を変更

2001年(平成13年)

(平成13年)

4月

本社を東京都新宿区新宿へ移転

6月

(株)信英工業を傘下にし、(株)アーク埼玉に商号を変更

12月

本社にてISO9001の認証を取得

2002年(平成14年)

(平成14年)

8月

(株)アーク埼玉を(株)アークノハラに商号を変更

11月

都市環境事業部門の工事請負業務を(株)アークノハラに承継

2003年(平成15年)

(平成15年)

7月

(株)シューコージャパンを設立

12月

那須工場にてISO9001の認証を取得

2004年(平成16年)

(平成16年)

4月

(株)ノハラエクジンを吸収合併

2005年(平成17年)

(平成17年)

11月

宇都宮営業所を開設

2007年(平成19年)

(平成19年)

5月

高崎営業所を開設

2009年(平成21年)

(平成21年)

10月

(株)日東紡マテリアルを傘下にし、日東紡と業務提携

2010年(平成22年)

(平成22年)

4月

ノハラスチール(株)を設立

2011年(平成23年)

(平成23年)

10月

野原工作空間(瀋陽)装飾工程有限公司を設立

2012年(平成24年)

(平成24年)

5月

(株)キャルを傘下にし、子会社化

2013年(平成25年)

(平成25年)

3月

野原産業エンジニアリング(株)を設立

10月

建設事業部の工事請負業務を野原産業エンジニアリング(株)に承継

2015年(平成27年)

(平成27年)

3月

三栄産業(株)を傘下にし、子会社化

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